楽しく生きて、いずれ死ぬこと、の話
こんにちは、ころとろです。お元気ですか?
この記事は内田勉さん主催のブログリレー、#新型コロナ時代のシェアハウスの9日目の記事になります。
さて、私は先日夫との別居を機に、ときさば系シェアハウスの一つ、EngineMakerに引っ越しました。
コロナウィルス禍に対しての緊急事態宣言の直前くらいのタイミングでしたね。
ちなみに今ももちろん別居が続いてますが、6/9現在、まだ離婚は成立していません。いざとなると結構時間のかかることなんですね、離婚って。
いやー3ヵ月前を振り返るに、こんなことになるとは思ってもいなかったよー世の中にしても自分のプライベートにしても!って感じなのですが、今はなかなか楽しく暮らしているので、結果良いことだと自分では思ってます。
EngineMakerで楽しく暮らしている
せっかくなので、楽しく暮らしていた様子を振り返りますね。
あっまちがえました。わざとです。ちなみに私の手作り旗です、すごいでしょ。
5月GWから6月にかけて、屋上にふらふら出ても過ごせる暖かい気候だったり、シェアハウス内一部で料理ブームが起きたり、テレワークの急激な普及が進んで家にいる人数が増えたり、などの複雑な要因が絡み合った結果、休みの日ごとにみんなでおいしいものを食べたりAmazonプライムで映画を見たりしてました。なんだこのリア充ぶり。
こんな感じに楽しく過ごしていました。というか食べてばっかり!すごいですね。
コロナウィルスと世の中について
ところで、私はなかなか変化についていけない人間なので、世の中が急にウィズコロナ、アフターコロナに当然のようにシフトしていくことについていけず、思い切り斜めから見ています。
私は周りの人でも、知らない人でも、他人の生き死にには元々あまり興味もないし、加えて自分についてはいつ死んでも仕方ないと思っているので、パンデミック予防は実のところどうでもいいです。
いつだって楽しく生きていたいけれど、来る時が来たら死ぬのは当然のことです。
どんな風に生きたとしても、いずれ誰でも死にますし。
例えば最近では、現状でシェアハウスに住んでいること自体が常識的にあり得ないと非難されることもありました。
世の中の自粛ムードに素直に従って、そうしていない人を見ると気に食わないと思う方もそれは存在するのでしょう。
が、自身がそう思うからといって、他人の行動を制限したり変えたりしようとすることこそ、本当に非常識で恥ずべき行いだと私は思ってます。
自身が思い行動することと、他人が思い行動することは本来、まったく違って当たり前だし、干渉しようとするべきではないと考えます。
なので、病気にかかるのを防ぐこと、ひいては人に病気を移す可能性を避ける努力をすることがめちゃくちゃ強調されて、互いに監視っぽくなってる世の中に正直うんざりしてます。
そんなに自分が死んだり、他人や自分の撒いたウィルスで人が死ぬのが嫌ですか?
そうだとしても、そのために自分以外の他人の行動を変えさせることは、本当に必要ですか?
さらに言い換えると、世の人々がこれまで「自身が死ぬこと」「誰かが原因となり他の誰かが死ぬこと」について、まず起こり得ない、避けられることだとどうして思っていたのかをめちゃくちゃ不思議に思ってます。
何十年か生きてれば、他人を踏みつけにしたり踏みつけられたり、うっかり結果的に死なせたり死んだり、そういうことって自分や周囲によく起こってません?
たとえその後、うっかり感傷に浸ったとしても一時的なものだと思います。
まあ実際、私は人間関係のもめごとや社会での無用な摩擦はもちろん避けたいチキンなので(そうは見えないかもしれないですがそうなのです!)周囲に倣って外出の時にマスクをしてみたりお店に入る前にアルコール消毒をしてみせたりはします。元来興味がないので時々忘れてますがね。生きていくには、社会や周りの雰囲気への適応は大事ですね。
終わりのあいさつと明日の担当について
なんだか後半はシェアハウスはあんまり関係ない話になってしまいましたが、この辺で終わりにしたいと思います。
楽しく生きて、そしていずれ死にましょう。
大丈夫、みんな行き着くところは同じです。
明日6/10はさとうみくるさんが担当のとのことです。お楽しみに!