福島浜通りに旅行に行ってきたよ、の話
こんばんは!ころとろです!
最近目まぐるしくいろんなところに出かけているぜ。
浜通りとは...商店街ではない...
福島県は縦に3つのエリアに大体分かれていて、西から東へ「会津地方」「中通り」「浜通り」と呼ばれているそうです。浜辺の商店街のことではなく、結構広いエリアの名前だそうです。
ようこそ福島県へ - ふくしまの旅 より図案を引用
最近私のブログによく登場してるSAGOJOのSAGOJOスクールの下記のツアー
で行ってきました。
いろんな施設をみた
主に浜通り内、双葉町・大熊町・浪江町・富岡町の辺りをウロウロしておりました。
大熊町インキュベーションセンターとか
震災遺構の浪江町立請戸小学校とか
とにかく施設をいっぱい観ました!
さらになぜか餅つき大会に参加したり、
アイデアソンでばりばり企画を考えたり、地元の方や移住者の方のお話を聞いたり、
太平洋にのぼる朝日を眺めつつぼんやりしたり、
夜はおいしくお酒を飲んだり、旅行としてはまたとても充実しておりました。2泊3日とは思えないです。
街に人がいない
浜通りでは徐々に避難指定などが解除されつつあるのですが、「立ち入り禁止」と「住んでよい」との間に、「短時間なら入ってよい」とか「自由に入っていいけど住むのはダメ」とか色々段階的な施策が敷かれているようでした。
なので、駅はあるし入ることはできるけど、住んでる人がいなくてお店もみんな閉まってるエリアとか、ホテルや旅館も営業していて商店やご飯やさん、コンビニもあるエリアなど、浜通り一帯と言っても区域によって様子はばらばらのようでした。
でも、どうにも人がいない。全般的に人はいない。だがトラックはめちゃくちゃ通る(おそらく工事関係)みたいな、ちょっと妙な街のようすが印象的でした。
原子力発電所事故とその後、つまりなんだったんだ?
わたし自身、中学生の時に少しだけ、原子力技術者になりたかった時期がありまして、大洗の常陽っていう実験用原子炉に泊まりがけで見学に行ったこともあります。
ただ結局わたしは超絶に理系の成績が悪く、他にやりたいことも見つかったので大学進学時の進路としては選ばなかったのですが、そもそも原子力発電所には今でも結構ポジティブな印象を持ってます。わたしは電気めちゃくちゃ使ってるし、発電所はないと困るし。
とはいえ発電所で事故が起きてしまって、地元の方達がかなり急に不便を強いられたり、住み慣れた地と生活を突然追われてしまったという事実は良いことではないと思います。
ただ、事故の記憶を残すとかの目的で建てられた資料館を見たり、地元の方たちのお話を聞いたりした時に、あんまり科学的な視点がない(例えば放射性物質の半減期の話とかが全くない)とか、そもそも資料館も原子力発電所の稼働については結局のところどういう立場なの?っていうのがあんまり見えてこないとか、廃炉や除染の作業員の方達と地元住民の方達の間になんだか溝がある?みたいなことが伺える様子とかを聞くと、疑問とかこれはなんなんだーみたいなのがむくむくと広がる感じでした。よくわからん。
おわりに
全体通してめちゃめちゃ楽しいエンジョイ!とかそういう感じだけの旅ではなかったし、なんというかそれはどうなん???とか、疑問だな???ということが結構増し増しにあったんだけど、結果なんだか浜通り気になるな〜と思ってます。今は。
来月2月に、浜通り内でも今回行ったところとは違う葛尾村というところにも行く予定があります。焚き火を囲むそうです。火は良い。
浜通りの中でも各町村で雰囲気や課題感は違うらしい、というところも伺ってるので、楽しみつつもうちょっと考えてみようと思います。
そんな感じです!